映画『50/50 フィフティ・フィフティ』(2011) 感想と評価

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ジョゼフ・ゴードン=レヴィットくん主演の“難病コメディ”

笑いとシリアスの絶妙なバランスで繊細なテーマに切り込む、おだやかな名作です。

映画データ

『50/50 フィフティ・フィフティ』

(原題:50/50)

2011年/アメリカ/98分
監督:ジョナサン・レヴィン
脚本:ウィル・ライザー
音楽:マイケル・ジアッキーノ
撮影:テリー・ステイシー
編集:ジーン・ベイカー
出演:ジョゼフ・ゴードン=レヴィット/セス・ローゲン/ブライス・ダラス・ハワード/アナ・ケンドリック

あらすじ

酒もたばこもやらない普通の青年アダムに突然告げられた病気はガンだった。

27歳という若さで、5年生存率50%のまさかの余命宣告。その日から、アダムの生活環境は一変。
よそよそしい会社の同僚たち、看病の重圧に負けそうな恋人、同居を迫る世話焼きの母親…。
病気のアダムに気遣って誰も今までどおりに接してくれない!ただ一人、女好きの親友カイルをのぞいては。
カイルと一緒に病気を“ネタ”にナンパしたり、新米セラピストのキャサリンと手探りのカウンセリングを通して、ガンの日々を笑い飛ばそうとするアダム。
しかし刻一刻と進行する病魔に、やがてアダムは平穏を装うことができなくなる・・・。(公式サイトより)

感銘を受けた3つのポイント

脚本家の自伝

エドワード・ノートンやライアン・ゴズリングと同枠で好きなジョゼフ・ゴードン=レヴィットくんが出てる、という理由で何となく観たんですがこれは良い映画。

脚本を書いたウィル・ライザーは25歳で実際にがんになり、その闘病生活を振り返ってこの映画が作られました。

ジョゼフ・ゴードン=レヴィットくん扮する主人公アダムがウィル・ライザー。

そして闘病するウィル・ライザーを当時つきっきりで励ましてくれたのが、本作で主人公の親友カイルを演じているセス・ローゲンです。実質的に本人が本人を演じているわけですね。

多少の脚色はあるとはいえ、劇中で交わされる会話や状況も実際あったものだそうです。

親友をがん患者」という記号ではなく今までどおり変わらない目線で接し、アダムを毎夜飲みに連れ出してはナンパに誘うカイル。

気を遣いつつ親友によそよそしさを全く感じさせない、彼の良い意味で無神経な言動の数々には笑いながらも胸を打たれます。

「おれ、生存率は50%らしい。。。」
「50%!?マジかよギャンブルならめっちゃ高確率だよな!!」
が最高。

男の友情にグッときちゃいます=。

タブーに切り込む

映画に関わらず全ての芸術に対して言えることですが、何を置いても表現者のパーソナリティや哲学が全面に現れていることが重要。

がんを戦った脚本家ウィル・ライザーが掲げた
「ツライことこそ笑いに変えよう!」
というテーマは、自身が積み重ねた経験と思考から導き出されたものだからこそ、リアルで重みがあります。

難病をコメディという形式で描く事に対しては、やはり製作段階でも方々から「やめろ!成功するわけない!」と非難する声が上がったみたいです。

しかし、「どんな考え方であれ、人は自由に意志を主張する権利がある」とライザー本人は語ります。

もちろん

「自分は誰で、誰の心に寄りそう事ができ、どんなメッセージを届けたいのか?また、届ける資格はあるのか?」

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などについて熟慮するのが条件ですが。

たとえ常識とズレていようが、反発を引き受ける覚悟をした上で独自の意見を堂々と表現する姿勢は、映画人として以前に人として尊敬すべき姿勢です。

またライザーは「観た人たちがこの作品にポジティブな意見、ネガティブな意見、さまざまな考えを持ってほしいし、双方が議論を戦わせてくれるのが理想的だ」とも語ります。

事実をどう捉えるか、悲劇にするのか喜劇にするのか、全てその人の考え方しだい。

たとえばユダヤ人や黒人にコメディアンが多いのは、迫害の歴史を経る中で「絶望と戦う手段は苦しみを笑いに変えること」と悟ったからとも言われます。

誰かがちょっとでも常識から逸脱した言動をするとすぐに吊るしあげられる全体主義国家の日本も、今作のような方法を風通しよく実験できる空気にどんどん変えていきたい。

リアリティのもと

自伝的な内容、かつドラマチックな演出をほぼ排しているのも素晴らしい。

観客を泣かせることを目的にしているのが見え透いた感動話って嫌いなんですよ。
感情の高まりを、泣いて解放させてインスタントな快感に導く、いわゆる感動ポルノ。

ヒットした『スタンドバイミードラえもん』とかまだ観てないんですけど、それも
「ドラ泣きしませんか?」
という客をナメきったキャッチコピーに腹立って仕方なかったからで。

今作はお涙ちょうだい演出ゼロで、アダム自身と彼を囲む人物たちのコミュニケーションが、静かに写実的に描かれます。

これは話を進める装置としてたまたま難病が使われているだけで

「自分や身近な人間の危機に際し、登場人物たちはこう考え、こう行動した」
「さあ、あなたならどうしますか?」

という本質的な問題提起にも受け取れます。
その意味では『エンド・オブ・ザ・ワールド』などが近いかも。

難病を扱った映画にありがちな「症状で苦しむ」シーンもほぼ無いですからね。

『ロレンツォのオイル』なんかは主人公夫妻の”戦い”というテーマに説得力を持たせるための、必然性のある演出としてそれが盛り込まれていたので心を打たれましたが。

「人物の心情や行動が、この出来事を経て、こう変化する」という分かりやすいストーリーテリングからあえて離れているのも写実主義的です。

人物の心理をデフォルメし一貫性を持たせることで面白味を出すのが物語の基本ですが、よく考えれば、現実の人間はもっとユラユラした生き物です。

いつでも論理的に、合理的に、一貫性を保って心理を働かせるわけがなく、ましてや病気を抱えて不安定な状態にあればなおさら。

劇中のアダムも気まぐれで、ニュートラルだったり機嫌が良かったりイライラしたり、最後まで一貫しない。つまりとってもリアルな人間なんですよ。

物語としてのダイナミックさを犠牲にしてでも、脚本家およびプロデューサーも兼ねたセス

・ローゲン本人たちの経験と哲学を、写実的に伝えきる。そのスタンスにとても共感します。

「100%絶望していた主人公が、周囲の人間の暖かさに触れ、100%幸福と感謝だけ感じながら目を閉じる」(そして画面がホワイトアウトしてエンディングへ)

みたいな記号まみれの予定調和じゃなくて本当に良かったですよ。

ただ「ツメを噛むクセがいつの間にか治っている」という非常~にさりげない、引き算の演出で成長を表しているのがニクイねぇ。

キツくてユーモアを忘れそうな時があったらこの映画をまた観よう!

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