映画『ディストラクション・ベイビーズ』は意味不明?考察と評価

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こんにちは!フィルミナ(@filminaty666)です。

『ディストラクション・ベイビーズ』、ご覧になりましたか?

ネットには「意味不明」「つまらない」「菅田将暉ご乱心」などの感想が散見されますが、この作品は一体、何を描きたかったんでしょうね?

とりあえず僕は柳楽優弥に一瞬でノックアウトされてヘロヘロです。

厭な気分になって大満足でした!

(厭な映画が大好きなのでパーフェクほめ言葉)

予告編

『ディストラクション・ベイビーズ

2016/日本

監督真利子哲也

キャスト:柳楽優弥/菅田将暉/小松奈菜/でんでん

感想と評価

①「ケンカテロ」を扱った災害パニック映画

泰良(柳楽優弥)は何者??

街を行く人々に無差別にケンカを売ってはボッコボコにし、逆にボコられたら勝つまでしつこくリベンジを仕掛ける主人公の泰良。

怖いですね~~。

絶対に会いたくないタイプですが、怖いだけじゃなくて薄気味悪さすら感じますね。

というのも彼、何を考えて、どういう経験をして、今に至るのか。

そういう、パーソナリティがほとんど描かれないんですよ。

「幼い頃から弟との二人暮らし。両親は早くにいなくなった」

「今は港町の造船所で働いている」

それ以外の泰良に関する情報はすっかり省略されている。

無軌道な暴力をふるい続ける彼の姿には、映画『ノーカントリー』でハビエル・バルデムが演じた殺人鬼シガーがダブります。

シガーも行く先々で何の罪もない人や動物を、何の理由もなく圧搾空気銃でバンッバン殺して回るという、基地のはるか外にいる奴でした。

シガーもパーソナリティに関する描写は一切ナシ。なんでこんな事してるのか、全く分からない薄気味悪さがあります。

『ディストラクション・ベイビーズ』における泰良の「気味悪さ」演出は、冒頭の長回しが特に印象的でした。

街を練り歩く泰良の後姿を追うカメラと、振り向いた時の完全にイッちゃってる顔

最初にあのシーンを入れることで、

「あ、こいつはヤヴァイ!得体が知れない!」

というイメージが受け手に刷り込まれます。

この方法は『プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ』の冒頭の長回しを思わせました。

こういう描かれ方をされる登場人物って、単一の人格というよりも抽象的な概念を神格化した存在に見えてきませんか?

泰良もシガーもずっと無表情かニヤニヤしてるかで、目の間の人間が苦しもうがどうなろうが無感動だし無関心。

しかも他者を攻撃する事に迷いがなく、そもそも動機すらない。

その意味で泰良やシガー、あるいは『イットフォローズ』で”イット”と呼ばれる者達は

「人間の都合などお構いなしで突然に襲い掛かる自然災害」

「逃れられない運命」

そのものに思えます。台風とか、歩道に突っ込んでくる居眠りトラックと同じです。

『ヒメアノ~ル』に登場する大量殺人鬼の森田君にも近いんですが、彼の場合は過去の経験やパーソナリティがちゃんと描かれるんで単一の人格として観れるんですよね。

個人の力では太刀打ちしようがない圧倒的で理不尽な暴力そのもの(に見える)を描いた『ディストラクションベイビーズ』は、

僕の中で『ツイスター』『ボルケーノ』などの災害パニック映画だったり、『アウトブレイク』『コンテイジョン』などパンデミックもの映画と同じくくりに入ってます。

泰良の攻撃がしつっっこいのがまた怖いですよね~。

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倒しても倒してもゾンビみたいに何度も起き上がってくるから、怖いを通り越して気味が悪いったらないです。

松本大洋の『だみだこりゃ』って短編漫画も同じなんですよ。

主人公が頭のおかしな不良から因縁をつけられて、逃げても逃げても逃げても追跡されてぶっ殺されるというメチャクチャな話でしたけども。

あと『ディストラクション・ベイビーズ』はよく『ファイトクラブ』が元ネタと言われるんですが、個人的には「ケンカばかりしてる」以外の共通点がそんなに見いだせないんですよね。

泰良(たいら)って名前こそ『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンと似てますが、ダーデンは明確な目的意識のもとで行動する人物でしたからね。

暴力のための暴力をふるい続ける泰良とは質的に違うんじゃないかなと。

②暴力を娯楽として楽しむ??

『ディストラクション・ベイビーズ』を観てると

「遠巻きに暴力を眺めて楽しんでる君たちは、暴力をふるう奴と何が違うの?」

そう問われてる気分でとっても気まずいんですよ。

映画から自分の倫理観を試されるこの感覚は『ファニーゲーム』『ナチュラルボーン・キラーズ』『エレファントマン』などと非常に近い。

その暗示として特に印象的だったのが、セダンの車内からフロントガラス越しに暴力を眺めるシーン

これ、視聴者が画面越しに泰良の暴力を眺めるのと同じ図式です。

争い事を傍観者のつもりでニヤニヤ見てる時って、

「自分もとばっちりを受けるかも?」

とは考えません。

サスペンスでもホラーでも、観客は「映画の外」という絶対的な安全圏にいるからこそ、怖さや劇中人物の苦しみを娯楽として味わえます。

(観客のその立ち位置を作中でメタ的に利用した『キャビン』ってホラー映画もありました)

ジョジョのアンジェロふうに言うと

「いい気になってんなてめーっ!」

です。

しかし作中でフロントガラス越しにケンカを眺めてた運転手は、いきなり火の粉が車にまで降ってきて大慌てしてましたね。

「自分に危害の及ばない安全圏から暴力を眺め優越感に浸る人間にも、災厄は降りかかる」

何ともミヒャエル・ハネケ的な、挑戦的な演出。

「いい気になってるヤツが破滅するのは楽しいぜヒヒ!」

それから、固定アングルと引いた目線の長回しでケンカを捉える視点が多いのも印象的でした。

寄りのカメラでケンカを取るとドラマチックでフィクション感が生まれるのですが、

カメラが引くことで客観的で冷徹な視線が生まれ、ドラマチックさがうすれ、リアリティが増す。

監視カメラの映像を観るのと同じような感覚です。

この演出には

「日常=平和と非日常=暴力は紙一重」

という意志が現れているように思います。

菅田将暉くんが演じた北原の暴挙も、他人事に思えませんでした。

北原は泰良の暴力に触発され、街を歩く人々に対し無差別に蹴る殴るの暴行を加えます。

「理不尽な暴力」という抽象的な概念そのものを思わせる泰良と違い、

北原の場合は人間いち個人の汚い精神性が露悪的に強調されるため、見ていてイヤ~~~な感じがするんですよ。

なんでこんなに厭な気分になるのか?

それは北原が自分自身だから。

泰良たちが起こす事件に対し、無数の傍観者的な書き込みがSNSにアップされる描写があります。

他人が暴力で痛い目に逢う事実をレジャーとして楽しむ時点で、それをネットに書き込む人間も、北原も変わりはしません。

こうやって暴力映画についての記事を安全な場所で書いてる自分も同じ穴のムジナです。

明日あたり地震、雷、火事、泰良に襲われるかもしれません。

自分の道徳観を見つめ直せる映画です!オススメ!

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映画/アート/本の話題が多め。

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フィルミナ:@filminaty666

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