映画『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』(2007) 感想と評価

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警官スプラッターアクションコメディ『ホットファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』です。

『ショーン・オブ・ザデッド』、『宇宙人ポール』等を手掛けるサイモン・ペグ、エドガー・ライト、ニック・フロストの3人組による作品。

痛烈な社会諷刺を込めたコメディながら、スタイリッシュなVFXと編集、そして過去の名作へのリスペクトに溢れたどハデなガンアクション。

さまざまな要素で楽しめる一作でございます。

映画データ

『ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!』

(原題:Hot Fuzz)

2007年/イギリス/121分
監督:エドガー・ライト
脚本:エドガー・ライト/サイモン・ペグ
音楽:デヴィッド・アーノルド
撮影:ジェス・ホール
編集:クリス・ディケンズ
出演:サイモン・ペグ/ニック・フロスト

あらすじ

武闘派かつ頭脳明晰、謹厳実直なエンジェル巡査は、職務に命をかける敏腕警官だ。

きわめて優秀な彼だが、ある日突然お偉方から
「お前が優秀すぎるせいで俺たちのクビが危ない」
と、暴論でしかない左遷宣告を突き付けられてしまった。

異動先は田舎の村サンドフォード。

ロンドンと違い事件らしい事件も起きず、少年の補導や迷子のペットを探すくらいしか仕事がない、本物の田舎だ。

そう思っていた矢先、あるカップルの事故(?)を境に村人たちを襲う不審な事件が連続し始める。

しかしどう考えても事件性の高い出来事が、同僚たちの事なかれ主義により全て「事故だ事故」で済まされていく。

また、当の村人たちも疑念の声を上げる気配がない。

「この村は何かおかしい。。。」

エンジェル巡査は真相を突き止めるため、刑事アクション映画の大ファンであるダニーと共に調査を開始した。

※以下ネタバレ注意

映画の感想と評価

ど派手ツーカイな警官ガンアクションになだれこむ3幕目、カッチョイイ!

作り手のアクション映画に対する偏愛が伝わり、かつそれがハイレベルな画づくりで担保されてます。

また3幕目が活きるのは、アクションに説得力を持たせるための十分な動機付けができているからこそ。

ここではアクションの下地作りとなる1幕目と2幕目の不気味さについて書きます。

不気味なムラ社会

人の出入りがほとんどなく、社会秩序が固定化した集団に生まれる閉鎖的な文化。

突然そこに放り込まれた異邦人の目を通して、閉塞社会が抱える異様さを浮き彫りにする物語は数多くあります。

私の場合 “他者への非寛容” という名の暴力をテーマに、人間の醜い本性を徹底的に暴きつくした『ドッグヴィル』『マンダレイ』にとりわけガツンと食らわされました。

今作の場合はサム・ペキンパー監督『わらの犬』がテーマの主な引用元となっており、親切にも劇中で言及されています。
(山口県周南市で2013年に起きた事件も『わらの犬』を強く連想させる事件でした)

レイシズム、ファシズム、イジメ。前頭葉が退化した群衆に陥ってはなりませんね。

また、今作ではムラ社会の奇怪さがコメディという乗り物で運搬されるため、「ただ笑ってオシマイ」なスッカスカコメディと違い、娯楽として深みがあります。

怖いし笑える多面的なアプローチなので、ずっと心にひっかかる。ひっかかるから考える。

それに社会問題に対する意識の喚起って、正攻法でお堅くやるよりも問題を笑いものにする事でバカさ加減を際立たせた方が効果的だったりしますからね。

事件の黒幕たちがカルト宗教ちっくな儀式を執り行ってるシーンなんかキモさ全開で最高でしたし。

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ロメロが『DAWN OF THE DEAD』でアメリカ人の無思考化・均一化を諷刺したように、ゾンビやコメディは風刺を含んでこそ本来の力を発揮するという好例です。

また、閉塞社会への侵入者だけでなく、出ようとする身内を攻撃する点でもムラ社会の特徴を押さえてあります。

花屋のオバチャンの殺人がそれ。

「外の世界には恐ろしいものがたくさんあるぞ!出て行ってはいけないぞ!」
「出ていくと言うのなら。。。。」

という閉塞社会のルールは『ヴィレッジ』『わたしを離さないで』などでも描かれました。

横並び思考に染まった日本なんてムラ社会の最たるもの。
「起業なんてどうせ失敗するからやめなよ」「安定こそ最高」「常識を身に付けろ」「普通こうじゃん」
とか。よく耳にしませんか??

一方で『メイズランナー』『ズートピア』ボウイの”Space Oddity”など、狭い社会から飛び出そうとする人びとの勇敢さを讃える作品は勇気が出ます=。
『進撃の巨人』もその枠。

あと黒幕たちが自分たちの行いを正当化するため何度も唱える「公共の利益」って言葉も気持ち悪いったらありゃしない!

しかもこういう人びとって悪意ゼロで、むしろ100%善意なのがタチ悪いんですよ。

何が厄介かって
“こちら側”の常識と照らし合わせたら暴論にしか思えない論理も、
“向こう側”にイッちゃった人々にとっては理路整然としてるわけですから話し合いようがない。

多数派あるいは権力者にとっての幸福を「公共の利益」と一般化して、ドロップアウトした者を容赦なく切り捨てる。
『狩人の夜』のラストや『ザ・ビーチ』深沢七郎『楢山節考』の凄絶さを想起させます。

マッカーシズムの嵐が吹き荒れていた頃のアメリカでも、共産主義の侵入を恐れるあまり思想弾圧が横行し、逆に社会が全体主義化していきました。
これは『トランボ』で扱われてましたね。

今作で「公共の利益」のために粛清された人々を次々と見せるシーンではそれが脳裏によみがえりました。 

幸福は無数の不幸の上に成り立っている。

世代交代

そして『ショーン・オブ・ザ・デッド』同様、最後には
「父を乗り越えて大人になる」
というテーマも語られます。

今まで子供だったダニーが、はじめて自分で考え生き方を選択する。

その際エンジェル巡査の口から語られる

「お前たちは無知な奴隷であり続けるのか??」
「洗脳されてる事に気付け!」

というセリフが響きました。

そして、偽装されたハリボテユートピアの化けの皮が剥げると、集団構成員を束ねる求心力を黒幕は一気に失ってしまう。

もといた世界と新世界を相対化されたらユートピアがただの幻想とバレて権威が失墜するから、構成員には外の世界を知ってほしくない。

知恵を付けず、神さまの事だけ考えるのが当然だった中世ヨーロッパ教会のお偉方たちも同じ発想があったのでしょう。

これも『ザ・ビーチ』、または『オズの魔法使い』のオズや『CUBE』などに共通します。

映画を観る効能は、自分の思想を相対化できる点にあります。

内なる常識にも、外部からお仕着せられる常識にも、いつだって反逆していこう!

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