映画『来る』感想と考察「SNS時代の人間喜劇」

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中島哲也監督の最新作『来る』ですが、うっかり「ホラー映画かな」と思って観たらば、あまりに辛辣なブラックコメディだったんで驚いてます。

中世末期におけるカトリック教会の腐敗を皮肉った『デカメロン』

時代おくれの封建制と騎士道を嘲った『ドン・キホーテ』

バカな戦争を続ける大英帝国をはじめ、人間一般を批判した『ガリバー旅行記』

どれも特定の時代や地域の世相をシニカルに描いた風刺劇の傑作です。

そして『来る』もまた、それらに肩を並べる作品になり得ると言えば大げさでしょうか?

予告編

『来る

(英題:It Comes)

日本/2018

監督:中島哲也

キャスト:妻夫木聡/岡田准一/松たか子/黒木華/小松奈々

あらすじ

恋人の香奈との結婚式を終え、幸せな新婚生活を送る田原秀樹。

ある日、彼の会社を訪れた謎の来訪者は、取り次いだ後輩に

「知紗さんの件で」

との伝言を残していく。

知紗とは、妊娠した香奈が名づけたばかりの娘の名前。

来訪者がその名を知っていたことに、秀樹は戦慄を覚える。

そして来訪者が誰かわからぬまま、取り次いだ後輩は謎の怪死を遂げた。

2年後、秀樹の周囲で不可解な出来事が次々と起こり始める。

得体の知れぬ強大な力を感じた国内一の霊媒師・琴子は、迫り来る謎の存在にカタをつけようと決意。

全国から猛者たちを次々と召集するが……。

(映画.com)

感想と評価

観ていて不安で仕方なくなる映画が大好きな僕のツボに、『来る』はどストライクでした。

「初めは小さかった災厄が、どんどんエスカレートし手に負えない規模の大災害になる」

まるでいがらしみきおの『sink』を読んでいるような焦燥感にかられます。

ケレン味全開な映像&美術的演出も素敵でしたが、今回は人物描写とテーマ性について書いていきます。

三幕構成の今作は、順次主人公が入れ替わる群像劇じたて。

うわべのストーリーは『パラノーマルアクティビティ』よろしく、

「子供に取り付いた悪霊か妖怪のたぐい」

に翻弄される人々がたどるてん末を描いています。

しかし「あれ」と呼ばれるこの存在は、人間の心の弱さが招く不幸や災厄そのもの。

「自分の都合だけ考えて他人の幸せをないがしろにしたら…

こんな目にあうぞ!」

という諷刺性および教訓は、現代社会に対応できるようアップデートされた童話とも言えます。

テーマだけでなく、『It Comes』という英題を与えられたタイトルまで含めて、デヴィッド・ロバート・ミッチェルの青春ホラー『It Follows』によく似た作りです。

では具体的に、どんな人々のどんな弱さが諷刺されているのでしょう?

”心の弱さ”とは

ストーリーテリング上、とりわけ力点が置かれた2名について書きます。

まずはヒデキ(妻夫木聡)。

中島監督作品の常連俳優、妻夫木くん。

『渇き。』同様に今作でも「軽薄でヘラヘラした男」の演技が光る。

周囲の人間に「いい奴」「すごい奴」と思われたくて仕方ない男です。

虚栄心に突き動かされインターネット上で「理想的なイクメンパパ」を演じ続ける彼ですが、本当は子育ても奥さんも放ったらかし。

タチの悪いことに、家族を不幸にしている自覚も悪意もゼロ。

インスタ映えやFacebookでの「リアルが充実」アピールに余念がない現代人を代表する存在です。

こうやって文章を書いている自分の中にもヒデキはいるはずですから、他人事では全くありません。

「自分自身の軸を持たず、

あらかじめ用意された美意識の枠内で、

他人を出し抜こうと必死になる」

『来る』ではそんな人間の愚かしさがこれでもかと描かれます。

これは朝井リョウ原作の『何者』『桐島』と並び、2010年代の日本映画を特徴づける潮流の一つとも言えるでしょう。

そしてノザキ(岡田准一)について。

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「子供という得体の知れない存在に対する恐怖」

「父親としての責任を背負うことへの恐怖」

という弱さを抱えた彼の姿は、リンチの『イレイザーヘッド』を強く想起させます。

上記の2人以外の人物たちもそれぞれ心に弱さをはらむ者ばかり。

親の都合で罪のない子供が不幸になる、

『ゴーン・ベイビー・ゴーン』『フロリダ・プロジェクト』『ラブレス』

などに通じるテーマまで絡んできます。

(ほんと現代社会の問題博覧会みたいな映画ですねこれ)

人物描写で面白いのは、それぞれの人物の印象が初登場シーンとその後の展開で全く変わること。

ノザキは『ロング・グッドバイ』のエリオット・グールドのように、達観をにじませたスタンスと飄々とした人格を持つ雰囲気で登場します。

しかし展開が進むにつれて見えてくるのは、慌てたり叫んだり、状況にうまく対処できない「普通の人」である彼の姿。

同じく初登場時のマコト(小松奈々)は、さながら『ドラゴン・タトゥーの女』のリスベットを思わせる不敵な出で立ちと態度。

しかし本当は誰よりも優しく人間味に溢れ、だからこそ不幸を招いてしまうのです。

(中島哲也監督といえば『パコと魔法の絵本』での國村隼や小池栄子のメイクも初めは本人と分からずビックリでしたが、『来る』の小松奈々も誰だか全く分かりませんでした!)

誰もが心に弱さを抱えていること。

それはヒデキの「大親友」である津田や、今作で唯一ヒロイックに描写される琴子(松たか子)も例外ではありません。

中島哲也監督『告白』で酷薄な女教師を演じた松たか子。

『来る』でもいっそう容赦ない”お仕置き”を見せつけた。

表層的な部分だけでは人間は分からない。

他人の目立つ部分だけが、その人の全てではない事を暗示させます。

そしてその人物描写はラース・フォン・トリアーミヒャエル・ハネケあるいはシャーリィ・ジャクスンかと思うほど容赦なく、スプラッター描写もえげつない。

そのため分かりづらいですが、この作品はホラーではなくれっきとしたコメディでした。

”弱さ”を受け入れる

ヒデキやノザキ、言ってしまえば私たち人間の多くが抱える、後ろめたい心根。

それを「弱さ」と切り捨てず、

あくまで「人間らしさ」として踏みとどまり、

突き放しつつも寛容な目線を交えながら描いたらどうなるか?

方法こそ違えど、それは芥川龍之介の『鼻』『芋粥』『羅生門』などと同じベクトルに位置するはずです。

「誰もが心に抱える後ろめたい部分を、気後れしながらも笑い飛ばす」

それがコメディが持つ大きな役割の一つですし、諷刺劇は本来そのためにあると思っています。

最後にノザキについてもう一つ。

彼が他人と深く関わらず、友達ひとり作らず孤独に生きようとするのは、

大事な存在が出来た時にそれを失う痛みが怖いから。

ですが、本気で誰かと向き合い、傷つく覚悟で付き合わなければ、それだけ生きる喜びもなくなります。

そんな生き方はセリフにあるように「死んで腐ってる」のと同じです。

「痛みを知って初めて生の実感が得られる」

というメッセージを携えて襲い掛かる『来る』は、近いテーマを持つ

『ファイトクラブ』『ゴーストワールド』『野いちご』

などと並んで僕にとって大事な一本になりました。

おわりに

上記のようにアレコレ考えを巡らせながら『来る』を観ていたわけですが、僕の所感は全てラストシーンの衝撃的なデウス・エクス・マキナで跡形もなくぶっ飛ばされました。

いつまでも子供の純粋さを忘れないでいよう!!!

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