『リズと青い鳥』ユーフォニアム続編感想「百合」で済ますな日本の美

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どうも!フィルミナ(@filminaty666)です。

『響け!ユーフォニアム』の続編である『リズと青い鳥』を観てから、微熱に浮かされたような余韻が続いてます。

余白だらけなのに、一切のスキがない。

まるで雪舟の水墨画を観るような映画でした。

『リズと青い鳥』に詰め込まれた日本の美学とは何だったのか?

大好きな「引き算の美学」を軸に考察していきます。

予告編

『リズと青い鳥』2018/日本

監督:山田尚子

脚本:吉田玲子

キャスト声優:種崎敦美/東山奈央

『リズと青い鳥』あらすじ

高校三年生のみぞれ希美

2人は吹奏楽部でそれぞれオーボエとフルートを担当する親友同士だ。

高三の彼女達にとって最後の出場となるコンクール。

演奏曲には、童話を元にした楽曲「リズと青い鳥」が選ばれた。

だが。

2人は重要なオーボエとフルートの掛け合いパートに苦戦し続ける。

お互いの気持ちを理解し合えない事が原因だった。

2人のすれ違う心はどこへ漂うのか。

『リズと青い鳥』は日本そのもの

「ここまで”日本的な方法”を活かしたアニメは観たことがない!」

私にとって今作の最大の魅力はそこでした。

『リズと青い鳥』の感動を記すため、まず”日本らしさ”の本質を述べます。

余白を大切にする美意識

「白紙も模様の内なれば、心にてふさぐべし」

これは江戸時代初期の画人、土佐光起の言葉です。

和歌、枯山水、能、水墨画、茶室などなど。

日本人は昔から「引き算」に美学を見出してきました。

物事を隅から隅まで説明せず、一部分だけをピックアップして作品にする。

すると、

「省略された部分には何があるんだろう?」

受け手の一人一人が想像力を働かせ、たくさんの答えを見つけることができます。

あらかじめ作り手によって一つの答えが用意されていない、つまり未完成だからこそ、受け手の心に残りやすいのですね。

物事は完成した途端、崩壊へと向かう

日本人が大切にしてきたその美意識は、「完璧であること」を礼賛するヨーロッパの古典美術などとは真逆のもの。

『リズと青い鳥』もまた、”不完全さの美”を徹底的に追求した、とても日本的な作品だと思っています。

その具体的な方法について、脚本/映像/音楽それぞれの面で掘り下げました。

あなたもご意見があればコメントして頂けると嬉しいです!

物語ではなく、一枚の写真。

まず作品の構造について。

『リズと青い鳥』には物語がありません!

どういう事でしょう?

「物事の始まりから終わりまでを、因果関係で連結させ合うもの」

まずこれを”物語”と定義します。

”課題 → 行動の動機づけ → 挑戦 → 挫折 → 再挑戦 → 解決”

といった具合です。

そうだね、『ロッキー』だね!

これに対して、『リズと青い鳥』には物語の文法が一切使われません。

「青春の一瞬のきらめきを閉じ込めたかった」

山田尚子監督と脚本家の吉田玲子さんが語るように、

描かれるのは物事の始まりから終わりではなく、途中から途中まで。

起承転結のハッキリした青春”物語”じゃないんですね。

2人の少女の ”これまで” ”これから” の物語は余白として残されています。

希美はこう言いました。

「物語は、ハッピーエンドがいいよ」

それはこの作品が物語で、明解な問いと答えが用意されている、という意味ではありません。

仮に少女たちの問題がスッキリと解決してしまえば、私はむしろ幻滅したと思います。

解決=結論を出さないのが日本的な方法であることは先述した通りです。

高校3年生の最後の数ヶ月という、

時間的な「一瞬」

世界を学校の中に限定した、

空間的な「一瞬」

時間と空間の流れを明示する芸術を物語と呼ぶならば。

一瞬を描くことで、前後の時間と空間の流れを暗示する今作は、

「シャッタースピードを90分間に引き伸ばした写真

として捉えるのが近いとも感じています。

また、”一瞬”を通して表現されるのは、出来事ではなく少女たちの心。

物語を喪失した世界の中で、2人の心はどう描かれたのでしょうか?

Disjointとポリリズム

「互いに素」

今作のキーワード「disjoint」は、数学用語で「互いに素」を表すとのこと。

タガイニソ・・・?なんじゃそりゃ!

と思ったのですが、ザックリこういう事らしいです↓

「2つの数字の公約数が1しかない」

つまり、共通点がない数字どうしを指すんですね。

これが逆に12と18とかだったら…

「2,3,6」とたくさん公約数があるんで、なんだか性格が合いそうですね。

もしも初対面の相手が

「マジ!出身地一緒じゃん!

え、年齢も一緒なの?パない。

マジか大学も一緒か、世間せまいね~」

と公約数が多ければ仲良くなりやすそうです。

対して。

今作の主人公であるみぞれと希美は…

友だちのはずなのに、なんだか心がすれ違ってばかり。

お互い何を想い、考えてるのか分からず、悩み苦しむばかり。

その関係を表すためのキーワードだから「disjoint」。

ウ~ム、シャレてますね。

音楽に打ち込む2人による「disjoint」な映画ということで、ある音楽用語を思い出しました↓

ポリリズム

音楽を演奏する時は、それぞれの楽器が同じリズムを刻むのが通常。

一方で、楽器どうしが全く違うリズムを刻む「ポリリズム」という方法もあります。

人気グループperfumeの曲名とアレンジにも使われて一躍有名になりました。

たとえば。

disjoint,互いに素である

拍で1小節」のリズムを刻む楽器Aと、

拍で1小節」のリズムを刻む楽器B。

二人が同時に演奏を始めたとしましょう。

その場合、二つの楽器が同時に小節を刻み終えるタイミングはいつでしょう?

5×7=35拍目まで延々とやって来ないのです。

それぞれのフレーズはもどかしくすれ違い続け、ほんの時々、気まぐれのように重なり合う。

ポリリズムの楽曲を聴くカタルシスはその一瞬にあります。

しかし。

せっかく重なり合ったポリリズムは、再び35×2=70拍目を迎えるまでズレ続けてていくのですね。

自分の車のウインカーが前の車のウインカーとピッタリ重なる瞬間ありませんか?

あれ嬉しいんですけど、そのうちまたズレて、別々のリズムに戻りますよね。

あれもポリリズムです。

みぞれと希美の二人も、”心”という楽器を使い、噛み合わないポリリズムを刻み続けます。

ほんの一瞬でも、重なり合うタイミングを探しながら。

冒頭で二人が歩く歩調がズレていて、かつラストシーンでは歩調が合うのもポリリズムの演出でした。

2人の心のリズムがすれ違うのは何故なんでしょう?

みぞれにとっての希美

独りぼっちで生きてきたみぞれ。

中学生の頃、孤独な彼女に

「音楽を始めない?」

と声をかけてくれたのが希美でした。

それ以来、希美はみぞれのヒーロー。

希美だけが世界の全てで、それ以外は何も目に入りません。

みぞれは希美との人間関係を

「親友」「二人だけが世界のすべて」

と認識しています。

希美にとってのみぞれ

それに対して。

希美はみぞれとの人間関係を

「音楽をやる仲間」「たくさんいる友達の一人」

と認識しているんですね。

その微妙な心のズレが2人の関係を軋ませ、作品全体に緊張感を与えます。

では、どんな方法で心の距離が描かれたのか?

みぞれと希美の距離を表す演出の数々

デカルコマニー

2人のずれた心を、山田尚子監督は「デカルコマニー」という言葉で表現しました。

絵具を紙にたらして、二つ折りにするとヘンな模様になる絵画技法のことです。

ロールシャッハテストで使うアレ!

「左右の模様は似てるけど、よく見ると少~しだけ違う」

その様子が2人の少女の微妙な関係性に例えられます。

たとえば作中に何度も登場する青い鳥。

あれデカルコマニーで描かれてましたね。

それに名前の字面からして

ぞみ:みぞ

と、少しズレたデカルコマニーを形成してるのも気が利いてます。

左右対称の完成された図形ではなく、

非対称で重なり合えない不完全な図形を好む。

この感覚も日本古来のもの。

たとえば兼好法師が『徒然草』の中でいいこと言ってました↓(意訳!)

吉田兼好『徒然草』

第82段

「何でもそうだけど、完璧に仕上げちゃうのはむしろ良くないよ。

不完全な部分はそのまんまにしといた方が面白いし、可能性も見出せると思わない?

皇居を改築する時でさえ、きれいに完成させないで造り残しをするんだよ」

って誰かも言ってた。

昔の偉い人たちが書いた本にも、文章が抜けてる部分が結構あるしね。

それから、こちらも有名です↓

第137段

「花見は満開の時だけやるのが良いだって?

月見は空がすっかり晴れてる時だけするのが良いだって?

そうかな、オレはそうとも限らないと思うよ。

雨の夜には見えない月のことを想ったり、

カーテン閉めて部屋に引きこもって、春が来ては過ぎ去るのを知らないままでいたり。

それだって、しみじみして趣が深いぜ。

咲きそうで咲かない、ちょっと咲きそうな花とかさ。

逆に花がすっかり散って、淋しいムードになってる庭とかさ。

そういう不完全なものにこそ、味わい深さがあるよ

わたしが余白や未完成に惹かれるようになったのは、『徒然草』を読んだ影響が大きいです。

その美意識は『リズと青い鳥』のセリフの少なさや、表情だけで心情を読み取らざるを得ない演出にもよく表れています。

「この子、言葉ではこういう事を言ってるけど、本当はどう思ってるのかな?」

「この子、表情を動かさないな、何を考えてるんだろう?」

彼女たちの気持ちを推し量るけど、答えは出さず、モヤモヤした気分のままでいるのが『リズと青い鳥』と自分との居心地いい距離感。

いわゆる「信頼できない語り手」は信頼できないままでいい。

人物の本音が全く分からないモヤモヤした感覚は、モーリヤック『テレーズ・デスケルウ』と近いものを感じます。

西屋太志さんの繊細なキャラデザインも2人の得体の知れない内面をよく表していますし、その表情を捉える映像もまた、余白を大切に扱っていました。

『リズと青い鳥』は『ピンポン』

あとデカルコマニーで『ピンポン』を思い出しました。

今作で音楽を担当した牛尾憲輔さんは、アニメ『ピンポン』にも参加しています。

また、映画版『ピンポン』の主題歌を担当したSUPERCARのメンバーと一緒に、バンドLAMAでも活動されています。

そしてSUPERECARの『Futurama』のアルバムジャケットは、デカルコマニーで描かれているんですよ。

さらに、『ピンポン』で描かれる人間関係も『リズと青い鳥』によく似ています。

主人公の一人である内気な少年スマイルは、もう一人の主人公ペコから誘われ卓球に打ち込み始めました。

スマイルにとってペコは自分を世界に連れ出してくれたヒーロー。

しかし。

後から卓球を始めたスマイルの方が、次第にペコの実力を上回り始めます。

自分の実力を嘆き、卓球から身を引いたペコだったが・・・

というのが『ピンポン』のあらすじ。

『リズと青い鳥』はどうでしょう?

内気な少女みぞれは希美の導きで音楽をやり始めました。

次第にみぞれは才能を開花させ始め、希美の実力を凌ぐようになる。

複雑な感情を抱き始めた希美は。。

これ、同じ話ですね!

意外なところに繋がりが潜んでるから創作物は面白いです。

余白を活かした映像

人物と同じ目線

まず印象的なのが主観カメラの多用です。

2人の半径10m以内の映像だけで話が進むため、この学校=世界全体で何が起きているかは一切不明。余白です。

脚本上そうであると同時に、視覚的にもまったく分かりません。

そのぶん人物の心情を追うことに集中しやすく、半ばPOV形式の映画を観てる気分でした。

引きのカメラ

人物たちを遠巻きに監視するような構図も多い。

視覚的に余白をたっぷり用意する事で、心の穴を埋められない少女の寂しさやもどかしさが伝わってきます。

その最たる例が、固定カメラでの長回し

希美に相談を持ち掛ける梨々花や、

理科室での先生とみぞれの面談のシーンで使われていますね。

突き放した構図のため、

「自分はこの子たちの心を分かる事はできないのかな」

と寂しくなります。

その寂しさこそ私にとって今作の魅力なのですが。

寄りのカメラ

驚いたのはカメラが引くだけでなく、極端なまでに被写体に寄るシーンも多いこと。

「どれくらい遠ざかればいいのか、近づけばいいのか・・・」

「相手との適切な距離感が測れない・・・」

少女たちのそんな不器用な心が現れているように感じます。

特に頻出するのが、少女たちの顔へのクローズアップ。

近い!近い!

その場所には他にも複数の人物がいるに関わらず、一人の顔だけを画角ギュウギュウに押し込めるんですね。

すごく緊張感と圧迫感があるんですよ。

特にみぞれと希美が抱きしめ合うシーン↓

2人の体はピッタリくっついているのに、

強調されるのは希美ひとりのうつろな顔↓

「希美のここが好き!そこも好き!」

精一杯に愛情をぶつけるみぞれに対して、希美はたった一言。

「みぞれの、オーボエが好き」

希美にとっては、みぞれは音楽だけでしか繋がり合えない存在。

「あぁ・・・みぞれがどんなに希美を好きで、どんなに近づきたくても、心の距離は遠いままなんだ」

そう考えると寂しくて寂しくて、映画館からの帰り道で泣けて仕方なかったです。

映画で感動して泣くことはあっても、寂しさで泣くなんて滅多にないですからね。

「すれ違っていた2人がようやく分かり合えた!」

という分かりやすい”ハッピーエンド”でなくて本当に良かった。

この作品に限っては、やはり問題が解決しないもどかしさを残したまま終わるのがふさわしいのでしょう。

「分かり合えやしないって事だけを分かり合うのさ」

そのテーマを描いた映画といえば『ルールズ・オブ・アトラクション』が出色しています。

そして。人生のどん底に落ち込んだ主人公が、そのまま最後まで心の傷から解放されない『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

分かりやすいハッピーエンドやご都合主義にアンチを唱えた作品で、『リズと青い鳥』の美学に通じるところを感じます。

また、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』で重要な役を演じたミシェル・ウィリアムズが出演する『ブルーバレンタイン』

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この映画でも「顔の極端なクローズアップ」が効果的に用いられていました。

倦怠期の夫婦の崩壊寸前な関係性を描いており、カメラワークが重要な役目を担います。

夫婦は近い距離にいるのに、同じ画角には一人ずつしか入らない。

そんなカットが多用されます。

それにより

「一緒にいるのに心はすれ違うばかりで、一人ぼっちでいるのと変わらない」

という関係性が暗示され、観てて本当にツラいんですよ。。!

『たかが世界の終わり』のカメラワークも同様。

家族どうしの気まず~~い会話だけで進む映画です。

複数人いる場でも、やはり一人の人物の顔だけが画角ギュウギュウに収められます。

心が通い合わない緊張感や徒労感がイヤというほど伝わってくる映画で、これも観てて本当にツラかった!

脚は「月」

顔だけでなく、手や背中など体のパーツだけを捉えるカットがいくつもありました。

「一部を切り取って全体を想像させる」

これもまた余白の演出です。

とりわけ印象深いのが、少女たちの脚だけを捉える構図。

『けいおん!』『たまこラブストーリー』にも頻出する、山田尚子監督が初期から続けている特徴でもあります。

「脚は口ほどにものを言う」という主旨の発言もされていました。

セリフで語る、表情を見せるというのは、心理状態を示すための直接的な方法。

それが情報を脚に限定すると、私たちは人物が抱く心理を間接的に、「面影」だけでうかがい知る事になります。

たとえば。

月は綺麗ですが、月じたいは光を放ちません。

太陽の光を反射して、それが私たちの目に届きます。

空から姿を消し、余白の状態にある太陽を、月というメディアを介して受け取る。

月の光は「太陽の面影」とも言えないでしょうか?

山田監督作品における「脚」もまた、人物の心を反射する「月」のようなもの。

そして方法論の軸として余白を重視した『リズと青い鳥』では、他作品と比べても脚の描写がずいぶん多い。

それは必然的な演出と思います。

さらに今作の場合、

「希美の足の動きはバレエダンサーを意識した」

とのこと。

そういえば、みぞれと希美を視覚的に対比する要素は白ソックスと黒ソックス

チャイコフスキー『白鳥の湖』における白鳥オデットと黒鳥オディールの関係性に似ており、衣装面でもクラシックバレエとの関連性を意識させます。

そして「2人の人物のコントラスト」という点に、ある映画監督を思い出しました↓

イングマール・ベルイマン監督

『仮面/ペルソナ』

「対照的な性質を持つ2人の人物は、互いが互いのドッペルゲンガーとして機能する」

その作劇手法については、『宇宙よりも遠い場所』レビュー記事で書きました。

『宇宙よりも遠い場所』のキマリとめぐっちゃんは『リズと青い鳥』のみぞれと希美に重なる部分が大きいので参考になれば嬉しいです↓

映画におけるドッペルゲンガー手法の嚆矢は、イングマール・ベルイマン監督の代表作『仮面/ペルソナ』です。

主人公の1人は「普通の人々」の代表である看護師の女性。

もう1人は「普通でない人々」の代表である女優。

共同生活を送るうちに2人の人格が融け合い、同化していく過程が描かれます。

音楽の才能を「持たざる希美」「持つみぞれ」の対比関係、および上述した『ピンポン』と似てますね。

今でも沢山の創作物に多大な影響を与え続ける名作ですが、あるシーンにそっくりなカットが『リズと青い鳥』にも使われていました。

『仮面/ペルソナ』の有名なカット

2人の女性の顔が左右で重ね合わせられる

山田監督が『仮面/ペルソナ』に影響を受けたかは定かでないですが、終盤でみぞれと希美の顔が重なり合うカットもまた、人格的なデカルコマニーを暗示するように見えませんか?

劇中劇のリズと青い髪の少女を同じ声優さんが1人2役で演じている点も、みぞれと希美の「同一人物性」を暗示します。

ベルイマン監督を思わせるモチーフはこれだけではありません。

『野いちご』

今作では背景や生徒たちの姿がぼやけたフォーカスで映されます。

みぞれと希美の関係性だけを強調するためです。

中でも印象深いのが、教室にある「針のない時計」

正確には、針はあるけどぼやけてまったく見えない状態にある時計です。

この道具はベルイマン監督『野いちご』で最初に使われたもの。

この時計が表すのは、時間が止まった世界、時間が存在しない世界。

つまり死の世界です。

『リズと青い鳥』における針のない時計は、

「私と希美、2人だけの世界が永遠に続いてほしい」

というみぞれの願いを象徴した道具じゃないでしょうか。

みぞれは希美を、希美はみぞれを、自分の世界に閉じ込めようとしました。

学校が象徴する「心を閉じ込める檻」は、あるスペイン映画にヒントを得たのでは?と見ています↓

心を閉じ込める檻『皆殺しの天使』

『リズと青い鳥』は

2人が「学校」に入るシーンに始まり、

「学校」で心の行き違いにもがき苦しみ、

ようやく「学校」を抜け出すシーンに終わる。

これが一般的な成長物語だと

「外に出て、経験して、戻る」

になりますが、

『リズと青い鳥』は

「中に入って、大変な思いして、外に出る」

というサスペンス的な手法を使ってるのが面白い。

その構造も緊張感を際立たせる一つの要因です。

この構造は恐らく、ルイス・ブニュエル監督が1962年に作った映画『皆殺しの天使』が元ネタ。

ブニュエルは芸術運動シュルレアリスムの映画監督で、先述したデカルコマニーもまたシュルレアリスムの手法です。

『皆殺しの天使』あらすじ↓

豪奢な暮らしに明け暮れるブルジョワ達。

ある晩。彼らはお金持ちの友だち宅に集まり、パーティを始めた。

談笑するうちに、彼らはある事に気付く。

「どういうわけか、家から一歩も出られない・・・!」

扉の鍵は開いているのに、、

窓も開いているのに、、

何を言ってるか分からねーと思うが、、

家から出ようとしても出られないだとおおおッッッ・・・・!!!!

すいませんジョジョ入っちゃいました!

これ、SFみたいに「出口に見えないバリアが張ってある」とかではなくてですね。

カフカの『城』などと同じく不条理劇として語られることが多いです。

「ぜいたくな生活に慣れすぎたお金持ちは、

貧しい生活をしている庶民の気持ちが分からない」

『皆殺しの天使』は、そういう社会主義的な思想を込めた風刺映画とも言われます。

つまり舞台となる邸宅は、

「金持ちの価値観しか理解できない狭い心

そのものというわけですね。

『リズと青い鳥』はどうでしょう?

みぞれにとっての世界は、希美と一緒にいる時間と空間だけ、つまり学校だけです。

相手を理解できないもどかしさ、それでも手元に繋ぎとめていたいエゴ。

そんな不器用で身勝手な2人の心、つまり「学校」が彼女たち自身を苦しめました。

彼女たちは「学校」から出ないのではなく、「学校」から出られないのです。

それを強調するツールとして、

「学校の窓から差し込む強烈な逆光」

もうまく機能していましたね。

みぞれにとって希美がいない学校外の世界は、ギラギラ眩しく輝くばかりでよく分からない。優れた演出です。

閉塞感を表すツールとしては、水槽も見どころです↓

かわいいフグのいる水槽

劇中でみぞれは何度も水槽を眺めていました。

この「水槽」も「学校」と同じく、みぞれが希美を、希美がみぞれを束縛する状況を表します。

また、水槽の中の水は象徴的な「お母さんの子宮/羊水」を暗示し、その人物が保護者に依存した状況にある事も同時に意味します。

「水槽の水」を子宮のメタファーで初めて使用した映画はマイク・ニコルズ監督の『卒業』です(たしか)。

主人公のダスティン・ホフマンとみぞれが水槽に向かうカットもそっくり↓

みぞれと希美が互いに縛り合う事は、互いに依存し合う事でもありました。

余白を活かした音楽

緊張感を際立たせるサウンド

音楽と人物の心理が完全に同期している。

それも今作の大きな特徴です。

ピンと張りつめた空気の中で、慎重にタイミングを選んで鳴らされるピアノ。

ブライアン・イーノやマイケル・ナイマンの音楽を思わせる緊張感。

とりわけ印象深かったのが、作品後半でみぞれと希美が最も気まずくなるシーンで使われた曲です。

半音違いの音を同時に鳴らすことで生じる不協和音(Dischord)により、2人の軋轢(Disjoint)を際立たせる仕掛けに、私も不安でヒリヒリしました。

それ以外にも「ゴォォォォォ……」

風か雷鳴か分からない重低音が小さく聞こえたり、

フグを飼ってる水槽の音が鳴り続けていたり、

細かい細かい細かいとこまで、音の演出が行き届いてます。

中でもリリカが机をひっかく時の、ガサーという音。

「そんなところまで効果音を拾ってくるのか!」

と感服しました。

それから「青」「必要最低限を好む禅的手法」という要素に、モダンジャズの歴史的な名盤を思い出します↓

Miles Davis『Kind Of blue』

ジャズトランぺッターMiles Davisが1959年に残したアルバムです。

ピアノ、トランペット、テナーサックス、ドラム、ベース。

それぞれの楽器が

「このタイミングで、この音しかない」

と一切の無駄を省き、緊張感に溢れた演奏を繰り広げる、まさに禅的なジャズです。

今作でセルフライナーノーツを書いたピアニストBill Evansは、『Kind Of Blue』で鳴らされる音を「日本の水墨画」に例えました

また、ピリピリと張りつめたMiles Davisのプレイは「卵の上を歩くような」とよく表現されます。

リリカさんが希美に手渡した卵は

「これから生まれる未来」

であると同時に、

「簡単に壊れそうな繊細さ」

の象徴でもあるのでしょう。

『リズと青い鳥』の禅的な手法と親和性の高いジャズアルバムですので、ご興味のある方はぜひ聴いてみてください。

水平線

終盤で「飛行機雲で二つに区切られた青空」のカットが出てきます。

これも2人の混じり合えない心を暗示するように見えました。

思い出したのは現代アートの画家、マーク・ロスコ

キャンパス一面、大胆にドカっ!と色を配置する抽象絵画を描く方ですけど、彼の作品と近い感覚がありますね。

写真家の杉本博司さんの作品も思い出させます↓

この絵画と写真は、どちらも

「近づいても交わる事はできない直線」

「必要最低限の要素で作品を作る」

という点が共通しています。

前者は「分かり合えない心」というテーマの面で、

後者は禅の思想を思わせる方法の面で、

それぞれ『リズと青い鳥』とも共通する部分です。

必要最低限の会話と表情の動きから、2人の心理のズレを追いかける。

『リズと青い鳥』は、禅の公案と言えるかも知れません。

青い百合『アデル、ブルーは熱い色』

青い髪の少女女性同士の恋。そしてすれ違う心

『リズと青い鳥』は『アデル、ブルーは熱い色』のアニメ版とも思えます。

こちらもギスギスとぶつかり合う切ない恋心を描いた作品です。

よければ観てみてください!

「disjoint」について

「自分だったらこうしたいな」

と思う点も一つ、ラストシーンにありました。

劇中劇でも強調された、青と赤というテーマカラー。

その2色がじんわり融けあい、ベン図を形成する。

これは互いに素”の状態から、公約数を手に入れディスコミュニケーションが和らいだ事の暗示だそうです。

(読者の方にご教示頂きました。ありがとうございます)

そして最後に。

文字だけで表示される

” disjoint ” 

「dis」が塗りつぶされ、

” joint ” に変わります。

“disjoint”が素数、つまり「心が繋がり合わない状態」を表す事は先述した通りです。

それが ” joint ”になると、

「心がつながり合った」

と、2人のディスコミュニケーションが解決し、すれ違いに終止符が打たれたような印象を覚えました。

なので、

一瞬だけ重なった2人のポリリズム。

でも。再び2人の心はズレていくのだろう」

そんな想像のオプションを残すためにも

“half joint”

にする案を考えついたのですが、あなたはどう思いますか?

この言葉には「ちょうつがい」という意味があるので、

「2つの心はピッタリ重ならないけど、繋がりが完全に切れたわけではない」

という曖昧さを演出するのにちょうど良さそうだ、と考えました。

この点もご意見いただければ幸いです!

※「half joint」の件、賛否両論いろいろなメッセージを頂いております。

どちらのご意見も嬉しいです、ありがとうございます!

おわりに

つねづね思ってるんですが、

「微妙」

という美しい日本語が否定的に用いられる風潮、わたしは納得いきません。

だって。

「かすかで妙なる様子」

ですよ。奥ゆかしくて素敵じゃないですか!

『リズと青い鳥』は果てしなく微妙です。

100%肯定的な意味で。

少し触れただけで壊れそうな、少女たちの儚く、一瞬で消える青春。

それを高度な日本的方法で表現しきった今作は紛れもなく傑作です。

この作品を作り上げた皆さん、本当にありがとうございます。

長くなりましたが、お読み頂いたあなたも本当にありがとうございます。

お気軽にコメントしてくださいね^^

原作の小説も読もうっと!

監督やキャスト、スタッフのインタビュー記事リンクです↓

監督:山田尚子インタビュー

キャスト声優:種崎敦美・東山奈央インタビュー

主題歌担当:Homecomingsインタビュー

音楽担当:牛尾憲輔インタビュー

Twitterもやっています。

映画/アート/本の話題が多め。

是非フォローしてみて下さい!

フィルミナ:@filminaty666

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コメント

  1. ぺらっく より:

    初めまして。ツイッターで「すごいレビューがある」と呟いてる人がいて
    そこからたどり着きました。非常に面白いレビューで勉強になりました。

    さて、最後の「Disjoint」が「joint」に変わる部分ですが、
    その手前、青い滲みと赤い滲みの中央部が重なり合って紫色に滲むってカットがありました。
    あれ、どうやら「ベン図」を示してるものらしいです。
    ベン図を持ち出して人間関係について麗奈が久美子に講釈するって場面が原作にはあります。
    「好き」と「嫌い」がハッキリ分かれる人もいれば、「好き、かつ、嫌い」ということもあり得る云々、と。
    それを踏まえての絵だったんだろうと思いますが、あれ、完全に重なるわけじゃなく、あくまで共通する部分が現れたってだけです。
    故に、最後の「Disjoint」→「joint」も、よく見ると「Dis」は完全に消されたわけではなく、
    グシャグシャっと雑に塗りつぶしただけで、「Dis」の字は相変わらず見えています。
    つまり、表現としては、結局は「Half Joint」と同じなんじゃないでしょうか?
    実際、ラストシーンの2「ハッピーアイスクリーム!」のところも、
    その後の希美の反応は「なに?アイスクリームが食べたいの?」であり、やっぱ、みぞれの真意は伝わってませんし。

    • フィルミナ より:

      ぺらっく様

      はじめまして、こんにちは。フィルミナです。
      お時間を割いて読んで頂きありがとうございます!

      青と赤のにじみ、綺麗だな~と思ってたら、なんとベン図だったのですね。

      ちょこっと公約数が増えてまるっきり「互いに素」じゃなくなったという意味か~、なるほどです。

      「dis」についてもご意見ありがとうございます!
      たしかに完全に「joint」にする気なら「dis」を塗りつぶすでなく、ケシゴムで消す描写になるかも知れません。

      アイスのセリフも2人の認識ズレていますね。ふむふむ。

      気付かされる事の多いご指摘です。ありがとうございます!

  2. mastu より:

     どうも、Twitterで自分がつぶやいた『リズと青い鳥』の感想をフィルミナさんにいいねしただき、そこからこちらの感想ページに飛んできました。
    読ませていただいて、「よくこう解釈に辿り着いたなぁ」「そしてそれを文章に落とし込めるなぁ」と感心するばかりです。
     自分がTwitter上で作品感想を書いてるのは、「作品に触れたその時に自分はどう思ったか」という、自分の思考を保存するタイムカプセル的な意味合いが強いのですが、インプット(読解力)とアウトプット(読み取ったものをまとめる思考力、文字に起こす文章力)が貧しいと思う事が多々あるのですが、フィルミナさんはどうやってその力をい磨いてらっしゃるのか、差し支えなければ教えていただけませんでしょうか。あるいは、本サイトの記事にしていただけませんでしょうか。
     作品と自己記録をさらに豊かにし、楽しむことができないものかともどかしく思っているところなのです。無理でしたら結構ですので、御一考ください。

    • フィルミナ より:

      mastu様

      はじめまして、フィルミナです。
      コメントありがとうございます!
      身に余るお言葉、恐縮です。

      インプット→思考の編集という点で振り返ると、日ごろから連想ゲームをよくしているなあ、とは思います。

      「この世のすべてのモノやコトは必ずどこかで繋がっている」

      という前提で生きてるので、何かを見聞きするたび

      「これはあれと似てるな。もしかしたら関係があるかも」

      と考えて楽しんでます。

      今回言われるまであまり意識してなかったので、もっと自分なりに整理して記事にまとめたいと思います。

      ご提案ありがとうございます!

  3. なおき より:

    初めまして。興味深く読ませていただきました。
    私も、この作品はみぞれとのぞみが「分かり合えない事を分かる」までを描いた作品だと感じました。
    けれど、率直に言えば、みぞれはわかってるのか怪しいかも…なんて思います。笑
    のぞみは気づかないようにしていたみぞれに対する嫉妬や、自分の凡人さを受け入れ(どちらも今は抑え込むというだけかもしれませんが)、一歩前に進みました。
    ただ、みぞれは「のぞみの全部が好き」状態から、あまり変わっていないような気がしたのです。
    二人は大学進学後も交流を保てるでしょうか?
    私はそんな風には思えません。意地悪な見方ですかね。笑

    • フィルミナ より:

      なおき様

      コメントありがとうございます!

      みぞれが自分自身や、希美との関係に対して盲目で変化しないまま作品が終わった感がありますよね。
      ふだん「物語慣れ」しすぎると、こういうの観たとき衝撃受けます。

      みぞれが天然だから希美の嫉妬や劣等意識がうまく伝わらず、いっそう希美の悔しさもどかしさを掻き立てる。

      つくづく怖い作品です笑

      大学いったあとの二人

      「あ。またみぞれからLINEが来ている。。。
      嫌いじゃない、好きだけど、やっぱりみぞれと真っすぐ向き合うのはまだツライ。。。」

      って既読スルーしたり??

      とか考えちゃいます。

      希美が自分の凡庸さやドロドロした感情と仲良くできる時が来てほしいです!

  4. なれ より:

    はじめまして、感想を楽しく読ませていただきました。

    本編とはあまり関係ない話ですが、disjointの意味が少し気になったのでご指摘させていただきます。
    disjointは数学用語で互いに素と訳される(正確にはpairwise disjointが互いに素)のですが、その場合、disjointの意味は大雑把に言うとベン図が重なっていないという意味です。一方、記事の方で述べていた「2つの数字の公約数が1しかない」を日本語で互いに素と言いますが、これを英語に直しますとcoprimeまたはrelatively primeと言います。

    日本語だと意味が2つあるし、その意味も似通っているので混乱しやすい用語です…ほんとに…

    • フィルミナ より:

      なれ様

      はじめまして、フィルミナです。
      お読み頂き、コメントもありがとうございます。

      おお、用語のご説明とても勉強になります。ありがとうございます!

      理系科目全般にコンプレックスがあったんですが、学習し直したいです!

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