映画『ミシシッピー・バーニング』ネタバレ感想:黒人差別とリベラルの暴走

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1960年代のアメリカ南部。

黒人差別が根強く残る、保守的な社会の暗部をえぐった傑作です。

いくつかの類似作品と比較しながら感想をつづります。

予告編

『ミシシッピー・バーニング』(1988)

監督:アラン・パーカー

キャスト:ジーン・ハックマン/ウィレム・デフォー/フランシス・マクドーマンド

あらすじ

1964年。まだ黒人の公民権が認めらていなかった時代。

アメリカ南部ミシシッピー州で、公民権運動の活動家3人が不審な失踪を遂げる。

リベラル化が進む北部と違い、黒人差別が当たり前に行われる閉塞的な社会で起きた怪事件だ。

調査のために派遣されたのは、FBIのベテラン捜査官であるウォード(ジーン・ハックマン)とアンダーソン(ウィレム・デフォー)の2人。

事件の真相を突き止めようとする彼らに対し、地元のKKK団や保安官は陰湿な妨害工作に出始める。

そして、怒りに燃えた2人による「敵よりも暴力的な」レイシスト掃討作戦が始まった。

ネタバレ感想

アラン・パーカーが送る「反逆」の系譜

『小さな恋のメロディ』『ミッドナイト・エクスプレス』『ザ・コミットメンツ』

「抑圧された人物たちが自由をつかむ物語」を送り出してきたアラン・パーカー監督。


今作は

『保守的で、排外的で、独自の風習が色濃く残るド田舎に飛び込み、体制をくつがえすために戦う捜査官たちのバディムービー』

『ホットファズ』などと同様のテーマが扱われます。

歴史上の動向や他作品との共通点

「リベラル思想を持つ北部の人間が、

人種差別に苦しむ南部の黒人たちを救おうとした結果、

問題が激化し、逆にうとまれる」

という中盤の展開が今作で特に印象深かった点です。

『マンダレイ』を思い出したんですよね。

こちらは民主主義の押し売りを皮肉った映画で、ねちっこく容赦ないアメリカ風刺には、ラース・フォン・トリアー監督の前作『ドッグヴィル』とはまた異質な“厭(いや)さ”を覚えました。

(※「厭(いや)さ」はいつもほめ言葉で使ってます)

革命の歴史をさかのぼれば、ロシアで19世紀に起こったナロードニキ運動も思い出します。

皇帝に搾取され続ける貧しい農民たちを救うべく、社会主義思想を学んだ、リベラルなインテリゲンチャ達が啓蒙活動を起こしました。

しかし思うようには事態が進まない。

搾取されている当の農民たち自身が、虐げられている自覚に薄く、インテリたちは彼らの理解を得るのにずいぶん苦労したと言います。

抑圧を抑圧と気付かない恐ろしさ

子供の頃から特定の価値観にどっぷり浸かり、あまつさえ搾取される環境で生きるのが当たり前になると、

「自分は不当に自由と尊厳を奪われている」

「慣れ親しんでないだけで、他にも多様な考え方がある」

という可能性にすら気づかない。提示されても受け入れない。

時代、世代、地域を問わない普遍的な問題です。

ブラック企業で搾取されて精神を病んでるのに辞められない方や、毒親の虐待を受け続けて反抗できなくなる子供たちの心理、などとも共通する部分があります。

今作で白人から差別を受ける黒人たちも、どこか「現状のままでいい・・・」と醒めた者がいて問題の根深さを物語っている。

「善と悪の境目はどこか?」

ジーン・ハックマン扮する荒くれもののFBI捜査官は、残酷な方法を駆使し、人種差別主義者たちを成敗します。

しかしそのやり方があまりにヒドイので、相棒のウィレム・デフォーから「君のやってることは俺たちの敵と同じだ!」と叱られる始末。

レイシスト側がズタボロにされるシーンは、高揚感と同時に

「悪を残忍な方法で倒す彼らは、果たして正義なのか…?」

というヒリヒリした気持ちすら覚えます。

その感覚に『イングロリアス・バスターズ』『ジャンゴ』などタランティーノ監督作品を連想する方も多いでしょう。

「悪を倒すために正義はどこまで悪に近づけるのか?」

「悪に近づきすぎた正義はもはや悪ではないか?」

という問いかけには、『ダークナイト』を思い出します。

「悪に正義の裁きを下そうとすればするほど、また新しい悪が現れ、守るはずだった街の治安がますます悪くなる」

自分は正義なのか悪なのか、存在意義が揺らぎ苦悩するのがクリストファー・ノーランが描いたバットマンでした。

それに対して今作のジーン・ハックマンは

「公民権を認めないレイシストは悪。

悪はズタズタにすべきだし、手段は選ばなくていい

だってオレこそ正義なんだから」

と、自分の「正義」を盲信して猪突猛進。

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黒人差別をあたり前に行う白人たちと、志向の根は変わらないわけです。

『許されざる者』では

“南部の田舎町で専制をふるう排外主義の保安官”

をやっていたジーン・ハックマンが、今作では真逆の立場と言うのも面白い。

『許されざる者』でも自分の正義を疑わず、暴力的な専制支配を街に敷いていたという点では同じですね。

正義と悪の境目なんてあるのか…?

というテーマは、同じくクリント・イーストウッドの諸作品ですとか、『L.A.ギャングストーリー』『ランボー』などでも説かれるところ。

(そういえばランボーも保安官が悪役だなあ)

または『風の谷のナウシカ』最終巻以降の宮崎駿作品などにも通じるテーマと言えます。

フランシス・マクドーマンドの名言

以下はそれに関するフランシス・マクドーマンドの独白です↓

「北部の人たちは、ミシシッピの人がみんな人種差別主義者だと思ってるわ」

これはほんとに重要。

単一の要素だけで他者をデフォルメすれば、その人もまた立派なレイシストなのです。

その内容が「南部の人間」でも「黒人」でも「ユダヤ人」でも、本質は変わりません。

ロベスピエールやレーニン、ヒトラー、マッカーシー上院議員、テロに走る狂信的な福音主義者たち、などなど。

歴史上いろんな人々がヘイトや恐怖をばら撒いてきましたが、彼らは誰一人として、「自分が絶対に正義だ」という自己認識を疑わなかったでしょう。

『マンダレイ』主人公グレースもそうですし、自分の正義を盲信していた『許されざる者』のジーン・ハックマンが最期につぶやく

「なんで俺がこんな目に。。」

というセリフなんか最たるもの。

リベラル側のウィレム・デフォーがラストで呟く「我々もまた罪びとだ」も繋がってきます。

映画『42』と共通するメッセージ

フランシス・マクドーマンドはこう続けます↓

「憎しみは生まれつき持つものでなく教えられるもの」

「誰もが子供の頃に『黒人は悪で、白人こそ優れている』と信じ込まされて、育ち、子供を産み、同じように子供を育てる。」

“差別意識は教育のたまもの”という厳しい現実は『42』でも描かれていました↓

野球を観戦中の父と子。

父親は、敵チームの選手で初の黒人メジャーリーガーであるジャッキー・ロビンソンに口汚くヤジを飛ばします。

「黒人は引っ込め!」

そして、それを隣で見ていた小さな息子までもが真似をして

「黒人は引っ込め!」

と叫び始める。

短いシーンでしたが、かなりショックでした。

『波止場』との共通点

『ミシシッピー・バーニング』では、リベラル勢力に手を貸したり、濡れ衣を着せられた黒人、およびリベラル側の白人が、次々と暴行を受けてしまう。

そして暴行シーンの後ろには、必ずゴスペルが流れてくる。

これらの描写はエリア・カザン監督の『波止場』の”殉教”シーンと近いと感じました。

ゴウゴウと燃え上がる家の前で「ストレンジフルーツ」にされる黒人男性の姿は特にショッキング。

凄惨な光景と、ゴスペルの静けさ。両者が際立たせあい、忘れられないシーンです。

実話『それでも夜は明ける』との比較

黒人奴隷が受けていた暴力を、忠実に再現した『それでも夜は明ける』

この作品でも主人公が奴隷農場主の白人からストレンジフルーツの刑に処されますが、あちらは音楽は鳴らず全くの無音でした。

その代わり、背景に広がる南部の自然が皮肉なまでに美しく、残酷さが強調されています。

悲惨な現実をドラマチックでも何でもなく、当たり前の日常として描く。

そうする事で逆に残酷さが際立つ作りです。

荒くれ男ジーン・ハックマンの歴史

最後にもう少しジーン・ハックマンの話を。

今作では特に、レイシスト保安官補佐をボッコボコにするシーンがトラウマレベルで印象深いです。

憎い相手のノド元にカミソリを当て、

なかなかうまく剃れんな(ニッコリ!)

怖さを通り越して笑ってしまいました。

暴れウシのように猛り狂う警官ハックマンと言えば、何よりまず『フレンチコネクション』

そして『ポセイドン・アドベンチャー』『俺たちに明日はない』。

大人しくしているジーン・ハックマンを探す方が難しい!

暴力こそ振るいませんが『目撃』『ロイヤルテネンバウムズ』『追い詰められて』などでも”強権的なオヤジ”っぷりを見せつけていますね。

その中でも『ミシシッピー・バーニング』は、彼の凶暴性を最も引き出した作品の一つだと思います。

おわりに

今作は黒人差別を扱っていますが、

「こいつらは悪だからコテンパンにして構わない」

と盲目になる危険性は、いつどんな事柄にも当てはまる事です。

世論が「あいつは悪だ!」という論調に傾いている時こそ、冷静に情報を疑いたいものです。

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