『宇宙よりも遠い場所』よりもい感想~評価~考察(3)めぐっちゃんドッペルゲンガー

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フィルミナ(@filminaty666)です。

『宇宙よりも遠い場所』で涙を流しすぎ50kg痩せました!

号泣ダイエットにオススメの今作について、

前回は「幽霊」という視点から裏主人公めぐっちゃんを考察しました。

今回も引き続き、『よりもい』のテーマを託されたキマリさんとめぐっちゃんの関係性を深堀りしています。

(※さらに最終回では今作で唯一の悪役を演じたある少女を考察します。

ちなみにめぐっちゃんではありません。↓この4人の中の、誰でしょう?↓)

「キマリさん」と「めぐっちゃん」が意味するものは何だろう?

見方をズラしたら、ラストシーンの演出の意味をより重く受け止められた気がします。

文学や映画なども引用して考察しましたので、ご参考になれば幸いです。

『宇宙よりも遠い場所』記事一覧

【ソフト一覧】

1話/2話/3話 を収録

4話/5話/6話 を収録

7話/8話/9話 を収録

10話/11話/12話/13話 を収録

オリジナル・サウンドトラック

写実とロマンが交差する物語

『よりもい』を見て感動に打ち震えながらも、私はずっと正体不明の「ここちよい違和感」を覚えていました。

最近やっと原因がハッキリしたのですが、同時に

「この違和感こそがキマリさんとめぐっちゃんの正体を明かす鍵だ」

と確信しています。

三者三様のリアル

メインキャラのしらせさん、日向さん、結月さん。

3人について、あなたはどんな印象を受けましたか?

彼女たちの人間性はとても複雑で奥行きがあります。

しらせさんはクールビューティーに見えて、ハジける時はハジけ、仲間想いで天然で、意地っぱりで、アガり性な一方で誰よりも毅然としています。

日向さんはムードメーカーで、誰とでもすぐに打ち解ける一方、誰よりも他人を怖がり、心を開けず、葛藤にずっと苦しんでいます。

結月さんは小さい頃から芸能界で揉まれた影響か、どこか冷静で醒めており、と思えば感情豊かで、よく笑えて、よく怒れる子です。

3人それぞれが、人間性に沢山の矛盾を抱えています。つまり、

「この子はこういうキャラ」という分類が不可能

矛盾があるからこそナマの人間らしいですし、リアルな子だ!と感じられるのです。

何周も見ても『よりもい』に飽きないのは、

「見るほどに3人の人間性の奥行きが見えてくるから」

と言う点がかなり大きい。

一方、あなたはキマリさんとめぐっちゃんにどんな印象を持ちましたか?

戯画化された二人

これはギガゾンビ↑

キマリさんは無邪気です。まっすぐです。

竹を割ったような性格で、よく笑い、誰からも好かれ、絵にかいたようないい子!

そして裏主人公めぐっちゃんは冷静で、頭が良く、面倒見が良く、絵にかいたような保護者です。つまり、

「この子はこういうキャラ」の分類が容易

善意のかたまりキマリさん。

悪意を秘めた子めぐっちゃん。

その対立構造もハッキリ明確。

第5話での二人のやり取りにはそれが端的に表現されていました。

めぐっちゃん「お前、まだ分からないのか??」

キマリ「なにが??」

むき出しの悪意とそれに気付かない善意の対比、この作品には珍しい描写でした。

違和感の正体

リアリティを追求し「生身の人間」に近い形で描かれるしらせさん、日向さん、結月さん。

徹底的にデフォルメされ「物語の人間」として描かれるキマリさん、めぐっちゃん。

和気あいあいと過ごす彼女たちを見ていて感じた

「不思議だけど心地よいミスマッチ」は、

そのズレに要因があったのだと気付きました。

明のキマリさんと陰のめぐっちゃん。

2人が戯画的に描かれたのは何故なんでしょう?

強調された対比関係に、『よりもい』の本質が隠されているんじゃないか?

そう考えるうち、一篇の小説を思い出しました。

スタインベック

『二十日鼠と人間』という小説をご存知ですか?

アメリカの作家スタインベックが1937年に発表した作品です。

(※以下、飛ばして読んでも大丈夫です)

読む人はクリック!
舞台は世界恐慌期のカリフォルニア。

主人公のジョージとレニーは、

「いつかは俺たちで自分の農場を持とうな!」

そんな夢を抱き、各地の農場を転々と渡り歩く季節労働者です。

小柄なジョージは、とても頭がよく、冷静な男。

「仕方ねえなあ」といつも相棒の世話を焼き、レニーの保護者を自認しています。

大柄なレニーは、どこまでも無邪気で、純粋な男。

ジョージのように賢くなくも、誰からも愛される才能に恵まれ、頭の良いジョージを慕ってついていきます

二人は概念としての「大人」と「子供」を象徴する存在なのです。

ある農場で働き始めた二人。

レニーは持ち前の純粋さで人々の信頼を得ます。

しかし、中には”子供”である彼を虐げてくる者も。

ある日レニーはその無邪気さがアダとなり、取り返しのつかないある惨事を起こしました。

「どう責任を取るんだ!?」

人々から責め立てられるのは保護者であるジョージ。

「なぜ農場の人々から追われるんだろう?」

分からないレニーは林の中に逃げ込みますが、とうとうジョージに追い詰められます。

「ジョージが助けに来てくれた!」

無邪気に喜ぶ目の前の”子供”に、ジョージは悲しみをたたえた目で優しく語りかけました。

そして。

成人の通過儀礼を定義する2つの切り口

『二十日鼠と人間』は寓話です。

「象徴としての”父親”を殺すことで、人は成長し大人になる」

その道徳観を示す物語が世界各地にある事は、前回記事でも触れた通りです。

またそれは同時に

「自分の中の子供性や純粋性を失うこと」

とも言い換えられます。

それで思ったのがキマリさんとめぐっちゃんは同一人物ということ。

一人の人間が抱える矛盾した内面をデフォルメし、それぞれ別個の人格として強調したキャラクター。

それがこの2人と考えられないでしょうか?

ドッペルゲンガー

「二重人格を別々の人物として扱う」

という形式は18世紀のロマン主義文学から盛んになり現在に至ります。

以下に、作劇で用いられるドッペルゲンガー = オルターエゴの代表的な類型を挙げました。

①自分が欲しい要素を全て持っている

主人公が抱く「この状態に到達したい」という憧れの気持ち。

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それを個別の人物として表現した、ドッペルゲンガーのタイプ①です。

『ファイトクラブ』『アダプテーション』『ジキル博士とハイド氏』、ドストエフスキーの『二重人格』や、ベルナルド・ベルトルッチによるその翻案映画、などがこの典型。

多くの場合、彼らは主人公が成長することで存在意義を喪失し、物語から退場します。

ドッペルゲンガーとは少し違いますが、

「主人公の成長を見届けたのち舞台から姿を消す」

という点で

『スターウォーズ』のヨーダやオビワン、『ドラえもん』『ヒカルの碁』などもこの派生形と言えるでしょう。

『機動戦士ガンダム』の最終話で大破するガンダムもドラえもんです(色まで同じ!)

「モビルスーツを誰より上手く乗りこなせる」

その能力だけが存在意義だったアムロ君がガンダムを失ったのは、

「もうガンダムに頼らずに、一人の個人として他人と関係を築ける」

ようになったという事。

人間的に成長した事を暗示する感動的なラストでした。

②自分の中にあるもう一つの側面

はじめに挙げた『二十日鼠と人間』や、『真夜中のカーボーイ』『スケアクロウ』『複製された男』といった作品がこれに当たります。

自分の中の子供性や純粋性を表す人物が死ぬ事で、主人公が

「おれは成長して、一人で生きていくのだ・・・!」

と悲壮な余韻を漂わせる結末が多いです。

ポーの『ウィリアム・ウィルソン』も有名ですが、これは上記と逆の展開を見せます。

自分の中の良心を殺して完全に悪に染まってしまうというラストには驚きました。

あれは「公序良俗なんてどうでもいい!」という開き直りなのか。

そういえばスピルバーグの『未知との遭遇』

「子供のままでいたい!社会に出て立派な大人にならなくていい!」

という居直り映画ですね。

「相棒を守っているつもりが、実は依存していたのは自分だった」

その意味では『リズと青い鳥』とも大きく関連しています。

また『リズと青い鳥』と共通するテーマを持つ、松本大洋『ピンポン』のペコとスマイル、そして『鉄コン筋クリート』のシロとクロの関係性とも重なります。

ではキマリさんとめぐっちゃんは①か、②か??

13話(最終話)のラストが意味するもの

私がこの作品に惹かれてやまないのは、

「自分の中の純粋さを失わないまま、主人公が成長を遂げた」

という所です。

キマリさんにとってのめぐっちゃんは

ドッペルゲンガー①

めぐっちゃんにとってのキマリさんは

ドッペルゲンガー②

彼女たちは2人で1人の存在。

お互いがお互いにない良さを持っています。

南極と北極という別々の場所を目指したように見えて、

「本当はずっと一緒に旅をし、一緒に苦労し、一緒に成長していたんじゃないかな?」

そう考えるとより爽快な気分になれました。

これには『未知との遭遇』の数年後にスピルバーグが作った『ET』などと同じ美意識を感じます。

お母さんの思い出にすがるのではなく、思い出を大事にしながらも前を向いたしらせさん。

純粋さの象徴であるETの、思い出を胸に彼を見送ったエリオット少年。

二人の成長は同じもの。

物理的にも、

現在と過去という時間的にも、

現実世界とアニメの世界という概念的にも、

距離が離れたって人は強い絆で結ばれる事ができる。

これが作品の大テーマの一つだと考えます。

最終話のキマリさんが言った

「私たちはもう”私たち”だもん!」

は、それを端的に表した名言でした。

キマリさんとめぐっちゃんの関係性は、山田尚子監督の映画『リズと青い鳥』における希美とみぞれの関係に近いので、こちらも参考になれば嬉しいです↓

いしづかあつこ監督の想い

「キマリさんとめぐっちゃんは別の人物」

という通常の見方も、視点をズラすだけでメッセージがいっそう有機的になってきます。

13話のエンディング。

“ここから、ここから”をバックに、旅を終えたメインキャラ1人1人のエピソードが少しずつ挟まれる演出に嗚咽ダダ漏れだったわけですが、

このときキャラクターの横にキャスト声優さんの名前が表示されますね。

それがキマリさんだけは、

水瀬いのりさんだけでなく、監督自身の名前も表示されるんです。

つまり、いしづか監督はキマリさんに自分自身を投影したんじゃないでしょうか。

キマリさんの旅が終わったことは、

作り手の方々が『宇宙よりも遠い場所』を作り上げたこと

それ自体に当たるのだと思います。

では、キマリさんの成長のおかげでめぐっちゃんも行動できたこと。

それは何を意味するのか?

視聴者である私たち一人一人が、

何か行動を起こすことで初めて、

『宇宙よりも遠い場所』が本当の意味で完結する

ということです

最後のナレーションに、その大テーマがギュギュっと凝縮されていました。

「どこまで行っても世界は広くて、新しい何かは必ず見つかるから。

ちょっぴり怖いけど、きっとできる。

だって、同じ思いの人は、すぐ気づいてくれるから!」

私も私なりの「南極」を乗り越え、作り手の想いに報いられれば嬉しいです。

次回はいよいよ大詰め!

ある少女が担った「悪」に迫りながら、今作が21世紀の実存主義哲学である理由を明かしていきます。

なぜ『よりもい』は『スターウォーズ 最後のジェダイ』『ロッキー』“ハイブリッド・レインボウ”なのか?

『よりもい』は善く生きるためにある!

『宇宙よりも遠い場所』記事一覧

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1話/2話/3話 を収録

4話/5話/6話 を収録

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