『宇宙よりも遠い場所』よりもい感想~評価~考察(4)「悪のプライド」編

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フィルミナ(@filminaty666)です。

心のガソリン『宇宙よりも遠い場所』について、これまで色々と書いてきました。

 

・それぞれの人物が抱える象徴としての「南極」

・めぐっちゃんが託された「幽霊」という役割

・成長を描くため用いられたギミック「ドッペルゲンガー」

今回はメインキャラの一人が担った「悪」について考察します。

※ネタバレ全開!

【ソフト一覧】

1話/2話/3話 を収録

4話/5話/6話 を収録

7話/8話/9話 を収録

10話/11話/12話/13話 を収録

オリジナル・サウンドトラック

「悪」の定義

↓あなたはこんな人をどう思いますか?↓

・社交的で誰とでも仲良くできる

・差別をしない

・他人から理不尽な対応を受けても、笑って許せる余裕がある

多くの方が「良い人」と考えるのではないでしょうか?

↓では、こんな人はどうでしょう?↓

・相手によって態度を変える

・他人を出し抜き「ざまぁみろ!」と叫ぶ

・感情的になり、嫌いな相手を罵倒する

多くの方は「悪い人」と考えるのでしょう。

これは主人公の一人、しらせさんが劇中で見せた考え方と行動です。

その時代、その社会で、たまたま一般的な考え方。

それは俗に「正しさ」などと呼ばれます。

私たちは日本的な教育のもとで、前者のような価値観こそ

「客観的で絶対的に正しい!」

と教えられてきました。

いっぽう、

体制にとっての「正しさ」を破壊する者

あるいは疑いを投げかける者

彼/彼女らは一般に「悪」と呼ばれます。

世間が盲信する良識と真逆の道をひた走るしらせさんは「悪」そのもの

何故しらせさんは「悪役」を担ったのでしょうか?

「正しさ」の凶暴性

空と君のあいだに

以下のような論調で今作を批判する方は多くいます。

「しらせが”正しい”考え方と行動をしてない!よりもいは間違っている!」

果たして本当にそうでしょうか?

第11話。日向さんが「正しさ」に甘んじかけた時のこと。

日向「なあ、(自分を裏切った陸上部員たちを)許したらさ。

楽になると思うか?」

しらせ「・・・許したい?」

日向「それで私が楽になるならな。けど、

それでホッとしてるあいつらの顔を想像すると、腹は立つな」

しらせ「・・・『ざけんな』?」

日向「だな!ちっちゃいなぁ、私も

この後の展開は考察記事1で書いた通りです。

以下に、中島みゆきさん「空と君のあいだに」の歌詞を引用します。

空と君とのあいだには

今日も冷たい雨が降る

君が笑ってくれるなら

僕は悪にでもなる

「君」を「日向」に置き換えてください。

まるでしらせさんが歌ってるように聞こえます。

そう思うと胸が熱くなりませんか?

「怒らず許せるのが立派な大人」

「許せないのは自分の器が小さいからだ」

もしも「心の狭い」しらせさんが「悪」のプライドを見せつけず、日向さんがその固定観念に縛られたままだったら、どうなったでしょう。

彼女は今後もずっとトラウマから解放されないまま生き続けたかも知れません。

「部下は上司にビールをつぐもの」

「男は女に飲み代をおごるもの」

「いい大学を出ていい会社に就職するのが勝ち組」

「いいトシして結婚してないのは負け組」

私たちも日々の生活の中で、知らず知らずのうちに

「正しさ」、「常識」、「普通」

そんな固定観念に縛られ、

自分で自分を苦しめてはいないでしょうか?

「悪」は暴走しない。「正しさ」が暴走する

画一的な美意識が、

多数派の共同幻想として社会に広がり、

あまつさえ固定化すればどうなるか?

遅かれ早かれ、程度の差こそあれ、いずれ悲劇が起きます。

“良識” を振りかざし盲目になった人間たちが、

集団になることでさらに盲目を強め、

暴走し、「悪」をコテンパンに懲らしめる。

異教徒を迫害し、

アニメオタクを迫害し、

「魔女」を迫害し、

ブルジョアを迫害し、

有休をたくさん取る同僚を迫害し、

社会主義者を迫害し、

不倫騒動を起こした芸人を迫害する。

古代から延々と繰り返される惨劇。

これはもう人間の業に近いです。

ではその状態に陥らないために、どうすればいいのか?

そんな時こそ芸術が威力を発揮するのです。

そして、しらせさんは芸術という概念そのものでもあります。

芸術とは「悪」に徹すること

砕氷艦しらせ

常識、倫理観、道徳。

これら「正しさ」は思考の前提として固定化し、多くの方にとって疑う機会が少ないもの。

現代において芸術が求められる大きな役割は、

受け手の思考の前提をくつがえす。

あるいは、受け手に懐疑させ、思考を促す事です。

しらせさんは主に

「人間関係に求められる常識」

という側面から、芸術 = 悪を貫きました。

誰とでも仲良く、しない!

人を出し抜いて優越感に、浸る!

嫌いな奴は感情に任せて罵詈雑言を浴びせる!

「ざまあみろ。ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ!」

「あんたたちがバカにして鼻で笑っても、私は信じた!」

「”絶対無理だ”って裏切られても、私は諦めなかった!」

「その結果がこれよ!」

「どう、私は南極に着いた」

「ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ」

「ざまあみろーーー!!!」

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およそ理想的な聖人君子とはかけ離れたリアクション。

彼女はなんと不器用で、なんと未熟で、

なんと人間らしいんでしょう!

「しらせさんの行動が客観的に正しいかどうか?」

そんな事はどうでもよく、どうでもよく、どうでもいい事なんです。

彼女の価値観に共感するか否かは別にして、

受け手に「考えるきっかけを与える」こと。

それ自体がダークヒーロー小淵沢しらせの役割なんです。

固定観念や心の弱さという南極の氷。

それをぶっ壊すのが砕氷艦、”小淵沢しらせ”

これが彼女に与えられた名前の本質だと考えています。

その人のやってる事が「普通」からかけ離れているほど、

「正しい」連中から石をぶつけられるのが世の常。

それで思い出したのがこの歌でした。

たたかう君の歌を

たたかわない奴らが笑うだろう

冷たい水の中を

ふるえながら上ってゆけ

これも中島みゆきさんの「ファイト」の歌詞です。

しらせさんは勿論、「悪」になろうと頑張る全ての人々への讃歌に聞こえませんか?

私の中でこの歌と『よりもい』は切っても切り離せない関係になりました。

※テーマを悪役に語らせる物語は少なくありません。

『逆襲のシャア』のシャア、

『ダークナイト』のジョーカー、

『機動警察パトレイバー』の内海課長、

こういう作品ほど悪役=ダークヒーローが輝くんですよ。

しらせさんは彼らと近い存在と言えます。

疑い続ける

注意すべきなのは、『よりもい』に限らず、何かを盲目的に賛美することは危険だという事。

「しらせさんのやる事は全て正しい!」

「よりもいを少しでも批判する奴は許さない!」

そういう思考、いや感情にハマってしまえば、

それこそ上記の「暴走する群集」と同じレベルに下がってしまう。

ナチスドイツの宣伝相ゲッベルスは、大衆煽動について言及する際こう述べました。

「人間は自分にとって最も慣れ親しんだ情報を”真実”と呼ぶ」

キマリさんたち4人の経験や感情の動きを追いながら、

「こんな時、もし自分だったらどう反応したかな?」

「しらせさんや日向さんにどう声をかけたかな?」

「もしくは何もしなかったかな?」

と、疑ったり考え続ける事が『よりもい』という現代アートの鑑賞法だと心得ます。

議論が紛糾するのは、それだけ多様な見方が可能な作品という事。

「これが正しい!」と結論が出せないからこそ、今作はアートして優秀なのです。

「悪」を実行する原動力

とはいえ「悪」になりたくても、現状を打破したくても、それを行動に移せるかは別の話。

なまじ中途半端に頭が良かったりすると「やれない理由」ばかり探して、結局モヤモヤ何も変わらない人生を続けるだけになります。

では、少女たちを動かした原動力は何だったのでしょうか?

キマリが抱えた実存への絶望

「個人」という概念が普及し始めた18世紀。

科学的な思考が普及し、産業革命を迎えた19世紀。

人間は神ではなく、自らの理性を中心に世界を捉えることが可能になりました。

しかし。その代償として払ったものは大きかった。

それまでは「人間は神のもとで平等」という前提すら疑わなかったのに。

いきなり「君はかけがえのない君自身なんだ!」と言われても、

逆に困る人が多かったんですよ。

さらに資本主義の発展により、

「私有財産をどれだけ沢山持っているか」

で人間の価値が決められる風潮も進みました。

(拝金主義がまん延した世界がとてもイヤです)

「一部の資本家だけがぬくぬく暮らしてて羨ましいな…」

「それに引きかえ自分は、誰にでもできる単純作業を劣悪な環境で毎日繰り返すだけ…」

「自分は誰なの?何のために生きてるの?人生に意味なんてあるの…?」

新時代の人間がおちいった、存在に対する不安と絶望

それを哲学者キルケゴールは3種類に分け、“死に至る病”と呼びました。

第1話の冒頭でキマリさんが陥っていたのも、まさにこの絶望状態の一つ。

それについてはこの記事に詳しく書いています↓

キルケゴールはキリスト教徒でありながら、

神の存在を証明できず、

自分の生の意味にも悩みぬき、

最後にこんな結論を出しました。

「自分が抱える存在の不安感は、論理を積み重ねたって解決できるもんじゃない」

「論理で神を見つけられないのなら・・・

グダグダ考えずに思い込むしかないじゃん!いるったらいるの!神様は!

答えは単純明快、かつ効果絶大。

思い込む。

この方法は“Leap Of Faith”(信仰の飛躍)と呼ばれます。

キマリさんも

「グズグズしてたって始まらない!思い切ってやってみよう!

とLeap Of Faithしたからこそ、自分を変えることができました。

藤堂隊長の”飛躍”

次に南極観測隊の藤堂隊長が12話でつぶやいた言葉を引用します。

「結局、人なんて思い込みでしか行動できない。 けど。

思い込みだけが現実の理不尽を突破し、

不可能を可能にし、

自分を前に進める」 

藤堂隊長のセリフはまさにLeap Of Faithの精神そのもの。

そしてキルケゴールはこんな言葉も残しています。

私にとって真理であるような真理を発見し、

私がそれのために生き、

そして死にたいと思うような理念を発見する

ここに実存主義のエッセンスが詰まっています。

普通こうだから」

常識的こうだから」

こんなものは現代を生きる個人が考え、行動する理由にはなり得ません。

そんな幻想を自分や他人に押し付けようと無理するから、

心を病んだりケンカするんです。

他の誰でもない自分だけの真理を見つけ、思い切って取り組めば良い。

「高校生が南極に行けるわけないじゃん」

「うるせーバーカ!

誰がなんと言おうと南極が私だけの真理なんだ!

だから行く!それだけだ!」

周りの目を気にしてビクビクしながら生きるなんて、勿体ないです。

行動できなくなるくらいなら、中途半端な頭の良さなんて何の役にも立ちません。

『ファイトクラブ』のタイラー・ダーデンもそれを喝破しています。

“It’s very clever.

「へえ、お前って頭いいんだな」

“How is that working out for You?”

「でもよ、それって何の役に立つんだ?」

『イントゥ・ザ・ワイルド』で描かれたクリストファー・マッカンドレスの生き様もまさに実存主義的。

頭脳明晰で立派な大学を卒業しながら、「いい会社に入る」などの出世コースを歩むことなく、世界中を駆け回る旅人としての道を選んだ青年の実話です。

今までの成長物語と何が違うのか?

「選ばれし者」の物語

古代~20世紀までの物語は多くの場合、こんな内容でした↓

『スターウォーズ Ⅳ~Ⅵ』のルークはフォースを操るジェダイの血統

『機動戦士ガンダム』のアムロはニュータイプと呼ばれる特別な少年。

『ドラクエ』の主人公の多くは、世界を救う運命をあらかじめ背負った王子様。

主人公は「選ばれし者」たちばかり。

そして。

何でもない普通の人々は?

救世主から、英雄から、「救われる」だけの存在でした。

「自ら何かを起こそう」

個人がそう考えたり、実行に移すハードルが高かった時代には、そんな英雄像が求められたのです。

それに対して『よりもい』はどうでしょうか?

「選んだ者」の物語

主人公は運の良さや出自によって「選ばれなかった」普通の人々

成功を掴めるかどうかは、行動するか否かだけ。

「選んだ者」だけが、実存を勝ち取る事ができる。

自分を救えるのは自分だけだ!

エリート主義を思想的背景とした旧型の物語とは、この点で根本的に違うのです。

21世紀の実存主義

以下に、the pilows「ハイブリッドレインボウ」の歌詞を引用します。

まさに『よりもい』の主人公たち、ひいては21世紀を生きる私たちの為にあるような歌です。

昨日まで選ばれなかった僕らでも

明日を持ってる

テクノロジーの進化、それに伴うインフラの低価格化と普及。

奴隷制や階級社会が当たり前だった古代から時を経て、ゆっくりゆっくり手間ひまをかけて現代まで育ってきたリベラルな価値観。

(もちろん抑圧に苦しんでいる人たちは今も世界に沢山沢山いますが)

それらのおかげで個人にもチャンスが回ってきたのが2010年代という時代です。

その時流を反映するように、『よりもい』の兄弟姉妹のような作品がここ数年でバンバン作られているのが嬉しくてなりません。

とりわけ『フォースの覚醒』『ローグワン』『最後のジェダイ』のスターウォーズ新シリーズは、「昨日まで選ばれなかった僕ら」の活躍をイキイキと描く、まさしく2010年代を語るにふさわしい作品です。

「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」

現状から逃れられない人々を擁護するでも軽んずるでもなく、 モーパッサン的な冷徹さで描写した作品も多く、それはそれで誠実な事と思います。

『いまを生きる』のラストシーンで、机に上れなかったクラスメイト達、

『ビリー・エリオット』の親父と兄貴、

『遠い空のむこうに』の親父、

『シングストリート』の兄貴、

最後まで心の傷から解放されなかった『マンチェスター・バイ・ザ・シー』の主人公。

歴史は「勝ち組」だけのものじゃない。

それを忘れちゃいけないな、とも思います。

Choose Life!

それでも言えるのは、キマリさんのように「選ぶ」勇気さえ持てば道は開けるという事。

「選択肢はずっとあったよ。

でも選んんだよ、ここを」

もう言い訳はできません。

ここから、ここから始めよう!

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コメント

  1. td より:

    非常に興味深い考察をありがとうございます。
    いしづか監督がどこまで意識して物語を作ったかは分かりませんが、LINEなど小道具の使われ方を含め、現代を象徴したアニメになっているのは間違いないのでしょう。
    繰り返し見ればみるほど、キマリの主人公としての存在感を感じるのが不思議だったのですが、他の3人とは性質が異なるという指摘は目から鱗でした。
    総じて、上っ面だけを議論するにはもったいない、非常に力の入ったアニメだったと思います。こうした作品をきちんと消費できる消費者でありたいものです。

    • フィルミナ より:

      td様

      コメント頂きありがとうございます!

      キマリさんは面白い人物ですよね、空洞のような存在というか。

      積極的に物語のアクセルやブレーキを踏むわけでなく、

      いつもニュートラルな立ち位置で作品の平衡感を保ってて。

      そのおかげで他のキャラが自由に立ち回れるという。

      「コンパス(軌道修正)を使うのが上手い」のはまさにその暗示かも知れません。

      LINEや百万円といったギミックへの考察がまだ足りないので、また見返してみます!

  2. サラダ より:

    とても興味深く勇気をもらえる考察でした。
    pillowsファンとしてハイブリットレインボウの歌詞を引用されていたことを嬉しく思います!
    ハイロウズの十四歳の歌詞「流れ星か 路傍の石か」にも通ずるものがありますよね。

    • フィルミナ より:

      サラダ様

      フィルミナです、コメントありがとうございます!

      よりもいを観ながらずっと頭の中で流れてたのがハイブリッドレインボウだったんですよ。この曲からは何度も勇気をもらってきたので、分かってもらえて嬉しいです^^
      swanky streetのサビの歌詞にも通じるアニメだと思いました。

      ハイロウズのその歌詞、いいですね!誇り高い石ころでいたいものです。

  3. たらこ味 より:

    大きな視点から物語を見ていて、なるほど、とうなづけるところが多くありました。
    報瀬を「悪役」と捉えた視点が良いですね。確かに彼女はポイントとなる場面で、他の人に同調することなく、自分で考え、自身にきちんと向き合ってきました。頭の中で相手の気持ちになって分かったつもりにならずに、自身の身に置き換えて考えようとする。そこまで徹底してるからこそできた役回りなんでしょう。
    中島みゆきの歌詞はイメージ的にピッタリ過ぎて、ちょっと笑ってしまいました。
    また少しだけ、自分の中で報瀬株が上がった気がします。

    • フィルミナ より:

      たらこ味様

      フィルミナです、コメントありがとうございます!

      おっしゃる通りだと思います。
      しらせさんは猪突猛進タイプですが、3話や6話などで「内省をしっかりする子なんだな~」というのが分かりますし、だからこそいい奴で、周りを巻き込める。そこを尊敬してます。

      行動派で弱さがあって、人情味がある。社長の資質バッチリな人柄だと思うので、大人になってさらに活躍してほしいです。想像しすぎですが笑

      中島みゆきさんの歌詞もハマりますよね。時代を問わず普遍的に人の胸に刺さる歌だと思います!

  4. ミシシッピゴリラ より:

    非常に面白い考察ですね。
    実存的テーマの掘り下げが特に面白いです。
    鳥肌を立たせながら拝読させていただきました。
    あなたの他の記事の全てに目を通したくなりました。
    ありがとうございます。

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